カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
 

シモンズストーリー3

第1回 2009.08.15号
これからシモンズストーリー3を、毎月15日に書いていきますので、宜しくお願い致します。ここでは、私達夫婦が、さまざまな人から、そして、見えない不思議な力に助けられてきたことを、感謝を込めてご紹介していこうと思います。ご紹介する内容は、かかわりの深さ、年数などは考えず思いついたまま書いていきます。そのため、わかりづらいところもあると思いますが、感謝の気持ちは、時間が経ったことも最近のことも、私達には同じように感じられていると思ってください。
さて、第一回目は、一番最近の出会いに焦点を当ててご紹介いたします。この夏、長いお付き合いのお客さんから、ボランティアでお祭りを手伝うので、カレーパンを仕入れさせてもらえないかと相談を受けた。どんな祭りかとお聞きすると、自立援助ホームのボランティアだと言う。どんなことか良く聞かなかったが、このご夫婦が、里親制度の支援もされていらしゃるのを実際に見ているので、喜んでお受けした。祭り当日は、初めての販売でありながら、若い子達が、大きな声を上げて売りさばいたと言う。その後、このとき販売していた子達が、親元にいられない事情のある子達だと知った。祭りの後すぐに、この子達を親代わりでお世話をされている自立援助ホームの若いご夫婦が、わざわざご挨拶に来られ、そこで初めて祭りの趣旨と自立援助ホームの存在を確認できた。その後、私たちに何かできることはないかと相談して真っ先に思いついたのが、ホームページの存在。調査によると、湘南カレーパンのホームページは訪問者が多いホームページだと言う。ならば、一人でも多くの人に紹介しようと決めて、お話を伺いに行ってみた。その時の様子を取材スタイルでまとめてみました。慣れないスタイルですので、読みづらいところ等あると思いますが、ご容赦ください。

「自立援助ホーム 湘南つばさの家」に行ってきました

【はじめに】
自立援助ホームとは、「なんらかの理由で家庭にいられなくなり、働かざるを得なくなった原則として15歳から20歳までの青少年達に暮らしの場を与える施設です。「働かざるを得なくなった」という意味は、本人に十分な意欲と能力が備わっているか否かにかかわらず、家族も含め他の援助を受けることができない状況で「自立」を強いられた状況を指します。しかしほとんどの場合、15歳の義務教育終了時点で施設や家庭から出て働かなければならない児童は、意欲や能力の面で十分一人で生活できる状況にあるとは言いがたいのが現状です。それにもかかわらず、「自立」させられた場合、職場や生活場面でも困難をかかえ、社会適応ができません。そのような児童に対し、社会的援助が必要だと感じた関係者のボランティア活動によって創設されたのが、現在の「自立援助ホーム」の始まりです。」(全国自立援助ホーム連絡協議会HPより引用)

【自立援助ホーム つばさの家】
2009年8月、茅ヶ崎市松浪にある「自立援助ホーム つばさの家」に行ってきました。そこは閑静な住宅地に普通に立っている一軒屋で、表札をじっくり見なければ、わからないくらい、地域に溶け込んでいるようでした。チャイムを押すと、笑顔の男性が迎えてくださいました。「お待ちしておりました!」と言ってくださったさわやかなこの方が、お話をお聞きしました代表の前川礼彦さんです。

【自立援助ホームとは】
こちらの「自立援助ホームとは?」の問いかけに対して、前川さんはわかりやすくお話してくださいました。その内容は、例えば何らかの理由で家にいられなくなった子供達は、児童養護施設に入る事になる。この施設は基本的には、高校進学をしない場合、中学卒業の15歳で出なければならない。そうすると彼等は自分でアパートを借りる事になる。でも実際の生活は15歳では経済的にも精神的にも厳しい事が多い。そうすると悪い道へ行ってしまったりすることがあるという。こういった子供たちを救済するためにアパートを借りるまでの間(大体20歳)、食住(しょくじゅう)を共にして、その準備を援助する活動がスタートした。その歴史は意外と古く50年前だという。この活動はクチコミで全国に広がり、児童福祉法で認知されている施設で全国で55ヶ所、神奈川県で3ヶ所ある。対象になる子供達が全国で4万人いると言われている。この数字は何らかの調査によって勘定できる数字であると言うから、本来はこの倍以上はいるのではないかと、前川さんは言う。

【実際に子供達と会った】
前川さんのお誘いで夕食を子供達といただくことになった。子供達にはどういった接し方が良いのだろうと悩んでいたが、実際に子供達と会うとそんな不安は吹き飛んでいった。
「こんばんは!」と元気で少し大きめの声で言ってみた。「・・・こんばんは。」という暗い挨拶かなと思っていたが、そんな事はない。しっかりとした声で「こんばんは!!!」と挨拶してくれた。前川さんが言っていた事を思い出した。「背負っているものはつらく悲しい事ですが、子供達はそれを吹き飛ばす気持ちで一杯なのですよ。」
その日会った子供は18歳と15歳の男の子二人で、服装も髪型もいたって普通の子達だ。趣味はアニメだという。それならば、「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」で応戦してみるが、さすがに現役世代には太刀打ちできない。色々とはじめて聞く武器の名前や登場人物をおかずに(?)食事をおいしくいただいた。新鮮で楽しいアニメ話(?)にはじまり、彼等の仕事や生活の話を聞きいているうちにこんな事をふっと思った。
「どこにでもいるような子供・・・というより、そこらあたりの同じ年頃の子供よりずっとしっかりしている。受け答えもはっきりしているし、何より積極的に話してくれる。」
楽しい夕食も終わり、時間も22時を過ぎていたので、そろそろという事となり挨拶をして車に乗り込んだ。話していた内容を思い出しながら運転していたら、ふっと思ったことがある。
彼等は自分に話を合わしてくれていたのではないか?彼等は大人の顔色ばかりを伺って生きてきたという話を聞いていた。大人の空気を読むのが秀でていると。「彼ら、そうだったのかも・・・」。と思った。ちょっと疲れさせたかなとも思うが、また会ってもらえたら嬉しい。

代表者前川さんは36歳。神奈川県鎌倉市七里ガ浜の出身。東京の大型自立援助ホームに11年勤続後、つばさの家を平成18年12月にスタート。まだ、知り合ったばかりでボランティアの意味さえわからない私たちは、運営面のことは全くわかりません。ご関心をもたれましたら、下記「つばさの家」のホームページをご自身の目でご覧ください。
http://www.shonan-tsubasa.com/

以 上

私にも子供がいます。波乱万丈の私に振り回された娘と息子は、翼の育っていない状態で、私の止めるのも聞かず、社会に飛び立って行きました。親が最低でも与えなければならない、心の安定と安心を授けてやれなかったために、その後の二人の人生は、困難を極めています。やっと目の覚めた私は、人間じゃないと言われるほど無理をして働けば、子供たちから許してもらえると長い間思ってきました。しかし、子供たちが望んでいることは、「親が改心していることなんかじゃない。どう向き合えばよいのか。どうしたら心を救ってやれるのか。」 つばさの家の子供たちも悩んでいるでしょうが、子供にそんな思いをさせた親も四六時中苦しんでいます。この出会いは、私にとって必要な出会いだったのでしょう。

第2回 2009.09.15号
主人と平澤さんとの出会いは、主人と私が知り合うよりずっと前になります。主人と私が出会って、シモンズを起業するまでに、主人は、原材料メーカーでも働いていました。
今日の「感謝」は、この時知り合った平澤製餡さんです。
もとは、企業の一員として、お知り合いになった関係でしたが、その会社を辞めて、シモンズ立ち上げ中の収入のない時、平澤さんは、主人が取引に力を注いだ分野については、取引高に応じて歩合として、それが、たとえ1000円、2000円という額であっても、きちんきちんと口座に振り込んで下さいました。失業の経験のない人には理解しにくいことかもしれませんが、出ていくばかりの口座に、入ってくるお金があることは、口では言い表せないほどうれしいものでした。そして、この振り込みは、私たちが、シモンズを起業して数年たっても続きました。夫婦で始めたものの、返済に支払いにと、出ていくばかりの口座から、平澤製餡さんからの振り込みを目で追うこともありました。シモンズで使用するあんこは、どんなに少ない注文でも、毎週車で直々に運んで下さり、新商品のヒントになればと、いろいろな餡を持ってきてくださいました。そうこうしている間に、私たちが、シモンズの逸品として作り上げた、しらすカレーパンシモンズが、ふじさわ観光名産品に認定され、マスメディアにも次々と紹介され、辻堂の湘南カレーパン、シモンズのしらすカレーパンと知名度がどんどん上がってきました。これまでも何度かもう大丈夫ですからと申し上げたこともありましたが、ようやく安心してくださったのかこのころ振り込みが終わりました。先の期待が持てない相手に対して、変わらぬ態度を長い年月黙って取ってくださった平澤さんの善意は、シモンズのスウィーツ部門ナンバー1を、不動のものにしている、あんことホイップの入った鎌倉庵、あんことカスタードの入った衣笠庵、そして、しらすカレーパンシモンズに続き、ふじさわ観光名産品に認定された、辻堂アンパンの餡の味を味わっていただければよく解ります。会社の誠実な態度が商品にしっかり表れるということを、平澤製餡さんは身をもって教えて下さったのでした。感謝。

第3回 2009.11.15号
感謝する。それは、忘れている当たり前になったことを思い返すことかもしれません。
湘南カレーパンシモンズが、今日のようにマスメディアに紹介されるまでになったのは、辻堂新町商店街に店を構えて間もないころ、藤沢の名産としてふさわしい商品の認定をしようという動きがあると教えてくださった店主がいました。その方こそが、私達の原点を支えるきっかけを下さった和菓子屋三吉野さんの若旦那さんです。この話が持ち上がっていたころは、個人経営の私たちのような店が認定をされるとは思っていませんでしたから、私達には知る由もありませんでした。ところが、若旦那さんは、お宅のような店こそが選ばれるべきですよっと教えてくださり、選考に至るまでの道を開いてくださったのです。おかげさまで、藤沢のしらすを用いて作ったもちもち生地のしらすカレーパンは、パンとして唯一認定されました。ふじさわ観光名産品に認定されたしらすカレーパンシモンズは、ヤフーやグーグルで一番に顔を出せるまでになり、テレビやラジオ、雑誌などで何度も紹介されるようになりました。今では、菓子パンの辻堂アンパンまでもが認定され、湘南カレーパンシモンズが、カレーパンだけでなくいろいろなジャンルのパンで注目されるようになりました。
辻堂新町商店街は、JR辻堂駅をはさんで北側に位置し、これから開発されるC-Xの脇になります。ご他聞にもれず、商店街と言っても、シャッターが閉まっていたり、住宅に変わっているところが多くなってきています。そんな中で、和菓子処の三吉野さんは、巻き寿司もやっていて、注文で作ってくださるお赤飯も重宝され、お年寄りが多くなってより繁盛されている様子。お向え通し励みになります。これこそが商店街の横のつながり。ついつい忘れてしまいそうな営みですが、原点を感謝し、私達も若旦那さんのように、いいことを惜しげなく人に教えられる懐の深い人間になりたいと思います。

4回 2009.12.15号
2009年も残りわずかとなりました。シモンズストーリーの感謝のページは、まだまだ終わりが見えてきません。こうして感謝の気持ちを書いていると不思議なことに、こんな私が清められていくようなすがすがしいいい気持ちになります。別に私は宗教に染まっているわけでもありませんが、感謝とは、物を買う度にお金を払うのと同じように、出会う人ごとだったり、出合わせた事々だったり、その度ごとに感謝の気持ちは生まれてくるのだと最近気づかされました。要は、心の問題です。みんな等しく心を持って生まれてきます。しかし、心の所在地はわかりません。学術的には脳みその中なのでしょうが、普通は胸に手を当てたくなります。場所も招待もわかりませんが存在します。私には途轍もなく大きな後悔の念があり、心の病に陥った経験があります。その時は、箸で食べ物が口に運べなくなるなど症状が出ましたから、自分で病気だと気づきましたが、頑張り屋で完璧性の性格では病気になっていることも判らなければ、もう普通であっても、人の目にはどう映っているのか気になって、もう一度一人でやっていけるようになれない人もいます。私自身もこうして体を張って仕事をしていますがおかしいのかもしれません。でも、私は、人の体の中の正体不明の心は、おおむね、思い方を変えればOKなんだと信じています。おかしいとおもえばおかしいし、不安と思えば不安だし、不幸と思えば不幸です。でも、心の持ち方をガラッと変えて、私はおかしい人のことがわかるのだからおかしくない。私のことを支えてくれる人がいるから安心だし、私は昨日の経験で今日を生きているから経験値が上がった分だけ安心だし、戦争もない日本に生まれて幸せだし、綺麗なお花を見ることが出来て幸せだし、上げたら限がないほど幸せいっぱいで幸福なんだと思い方を変えると心は上向きます。心が上向いたらその事に感謝したくなりますし、出会う人にも感謝したくなります。出会う事々にも感謝したくなります。まさしく、私がポトピと出会ったのも矢野所長さんとお知り合いになれたことも感謝です。そこで、今年を締めくくるにはこの活動しかないと思い紹介させて頂きます。

「NPO法人 ポトピの会」に行って来ました。

【ポトピの会って?】
「心の病を持つ人の社会参加をみんなで応援するNPO法人です。当事者、家族、職員、会員地域の方々、関連機関などとの連携を密にして、「地域で共に生きる」ことを大切にして活動しています。」〜冊子「ポトピの会の案内」より〜

【矢野所長にお会いしました】
2009年12月、早速、ポトピ第2作業所に行ってきました。そこは藤沢の大鋸の静かな住宅街の一軒家です。本当、よく見なければわからないほど地域に溶け込んでいます。木製の看板に「ポトピ第二作業所」と書かれています。呼び鈴を鳴らすと、男性が笑顔で出迎えてくださいました。「お待ちしておりました。矢野です。」その方が本日お話をお伺いするポトピ第二作業所の矢野所長でした。

【ポトピの名の由来は?】
矢野さんは20歳まで山北町に住んでいらっしゃいました。山北は名前の通り山が多く、とても静かな場所で、深夜起きていると遠くで雫が落ちる音が聞こえてくるような感覚になったそうです。矢野さんがポトピを立ち上げる前に趣味で通っていた俳句教室の先生に誉められた句があり、そこからポトピと命名したそうです。
水音のポトピポトピの夜長かな
「ポトピ」という響きは、波紋や雨垂れを連想させます。みんなが元気になる活動を波紋のように広げてゆきたいといった願いと、雨垂れも年月をかけると大きな石(病気)に対しても穴を開ける(治す)ことが出来るという思いや、清らかというイメージも込められていると矢野さん。
なるほど、ポトピという響きから、何ともいえない「癒し感」を感じました。

【ポトピを立ち上げた】
将来自分が何をやりたいのか悩んでいた大学生の頃の矢野さん。自分自身、気持ちに波があることに気付いていた事もあり、とても心理学に興味が沸いていったそうです。ある日、精神病院に教育実習にいった時、高校生位の子供が独房のような部屋に入れられているのを見て、とてもショックを受けたといいます。と同時に「このままではいけない」と思ったそうです。当時の日本の精神医療は単科の大きな精神病院に入院するしかない時代で、薬物療法を取り入れ入院させずに生活支援に力を入れた欧米に比べるととても遅れていると感じていたそうです。入院が長期化しいつ退院できるか分からないシステム。また入退院を繰返すシステム。卒業後はボランテイアをしながら、「何とかできないものか」と模索していた時代が8年間続いたとか。1988年頃、矢野所長にとって一筋の光が差し込んできました。県や市などの自治体の補助を受けて「作業所」と呼ばれる施設が全国各地に広がったのです。その数その後6,000件以上に増加。それだけ必要に迫られていたんですね。そんな中、矢野さんは横須賀の作業所に勤め、その後藤沢市の「ひまわり作業所」に。その後、周囲の人に支えられながら「ポトピ」を立ち上げた。

【ポトピ第2作業所ではどんな活動を?】
「メンバーとスタッフが一緒に協力し合って、みんなが元気になる活動をしています。そんなポトピは、憩いの場であり、文化活動や仕事の場なんです。そして、一番大切な仲間作りの場なんです。」と矢野さんは説明してくださいました。ご自身も茶道の先生として、メンバー達と堅苦しくない(?)茶道をやっている。「地域も含めたみんなが元気になってくれるような活動ならどんどんやっていきたい。」そんな気持ちで「遊行福祉まつり」の事務局を自らかって出たのが92年。以来、年1回の一大イベントを仕切っている。
「最近は大きくなりすぎちゃって、大変なんだよ。でも、それだけみんなが元気になってくれているんだよね。」

【夢は?】
「現代人はみんな精神病予備軍だと思います。作業所が起爆剤になりみんなが元気になり街が元気になりますように。」

矢野所長、貴重なお時間をありがとうございました。心より応援させていただきます。

以上