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シモンズストーリー

販売する側も、お客様も楽しくありたい。『私ならこんなお店で買いたい』と思うことを表現させる為、大好きな花を咲かせ、好きな音楽をかけ、衛生的で会話のできる対面ショーケースも自分でデザインしました。

年中開け放された店内へは、ベビーカーも、ワンちゃんも入れます。夏は冷たい麦茶、冬は温かい紅茶をふるまっております。さあ、どこにもないオリジナリティーいっぱいの当店をご覧下さい。

●シラスカレーパン誕生秘話

湘南カレーパンのしらすカレーパン コーヒーと一緒に!

看板メニューの「しらすカレーパンシモンズ」は表面がカラッ、生地はモチモチッとした食感と、地元のシラスが入ったマイルドな味が特徴です。湘南に住まう私達が、パン屋を出店するならば、湘南にとことんこだわろうと、具にも湘南らしさが出るようにと藤沢の特産品であるシラスに着目しました。しかし、水揚げによって価格が上下するシラス。常に安定供給してもらうために、シラスの文字が書かれている魚屋さんに足を運び交渉しましたが良い返事がもらえない日々が続きました。半ば諦めかけたある日の午後、大雨の降る一本松の踏み切りで、傘もささずに立っている男性に出合いました。私達の傘の一本をその男性に渡すと、その男性は少し酔っていて、私たちに話しかけてきました。私たちが、しらすを求めて一日中歩いてきた事を話すとその男性の実家が、しらす漁の網元だというのです。この夢のような出合いによって念願のしらすカレーパンシモンズが誕生したのです。

●シモンズ・ストーリー

50才を目前にしたある日、湘南の海を一望できるレストランから、再婚したばかりの妻と、何気なく、サーフボードをかかえて海からあがってくる、サーファーと呼ぶには、老いた男に目が止まった。そして、アットいう間に、こんなショートストーリーを作り上げた。

サーファーシモンオレの名はシモン。今日もまた波と遊んでしまった。今ごろ妻は一人で何を考えているだろう。今度こそ夫婦でいられる時間を大事にしようと再婚したのに、またすれ違い。夫婦いっしょに仕事ができたら最高だろうなあ。

オレは今まで、チェーンベーカリーの海外出店や、商品開発、ベーカリー関連の仕事をしてきた。

バブルにも飲まれ、企業の手足となって売れるものを求めてきたが、そんな企業側に立つ仕事にいや気がさして足を洗った。辞めてみて気づいた天職。お客様がどんな顔をして食べてくれるか思い浮べながらの商品開発。

しかし、今のオレにパン屋を始められる程の資金はない。あるのは、パンに対する情熱。オレは若いころパテシエになりたかった。だから、当然パンにもケーキのような美しさを表現したい。そして、何より、喰い道楽のオレの舌が納得する味を出したい。妻も若いころから調理の勉強をしているし、家庭製パンの経験もある。

ああ、金をかけずに2人でパン屋はできないだろうか。

そうだ、カレーパン専門の店ならできる。オレの愛する湘南の海にちなんだカレーパン屋を始めよう。

パン生地には自信がある。油じみのしない、もちもちした生地に湘南らしいフィリング。どうせ作るならどこにもないご当地カレーパンがいい。

シラスを手に取ったシモン早速、妻と2人で藤沢の特産物についてあらためて考えみると、まっ先にシラスが浮んだ。シラスならカレーの具材として使える。これだとピンときた。

1つ決まれば、これまで閉じこめていたものが飛び出すかのように、次々と思いつく。あとは、いかに自分らしい店づくりにするかだが、このことについては考える必要はなかった。今の2人の生活そのものを表現するだけでよい。私達は、とにかくよく話す、会話こそがコミュニケーションの第一歩。対面販売方式でお話ししながら買い物をしてもらおう。お勧めのパンや食べ方を提案したり、質問に答えながらお客様にあったパンを勧められるようなきめ細かい情報提供のできる店にしよう。

湘南カレーパン シモンズのショーケースドイツのショーケースメーカーにいたころ培った木のぬくもりのある衛生的で買い物しやすさを追求したショーケースを自分でデザインしよう。そして、全体をガラス張りにして、べビーカーを押したまま、大事なペットを連れたままのショッピングを楽しんでもらおう。


湘南カレーパン シモンズ ドリンクサービス照明は、電球色を使い光ではなく、暖かみのあるあかりをつけよう。店頭には、シンボルのサーフボードを置き、大好きな花を咲かせ、ちょっと休めるテーブルとイスを用意しよう。

工房にも店内にも好きな音楽を流し、夏には冷えた麦茶を、冬には温かい紅茶を自由に飲んでもらえるような、ホスピタリティーをコンセプトにかかげて・・・・



●シモンズの特徴

JR辻堂駅北口から徒歩3分の新町商店街に面した店の入り口は一年中全開。
お年よりが店内に設えた小さなイスに腰かけてゆっくりと買い物をしている。
小さな子供がショーケースに顔をこすりつけながらどれにしようかと迷っている。
スーツ姿の男性や、部活帰りの学生が『揚げたて1つ』と飛び込んでくる。
試行錯誤の末、作り出したもちもちの生地は、独自の配合と冷蔵発酵法により、一日中5分で揚げたてを提供できる。
カレーパン以外にもお客様に喜んでもらえる商品をと、商品開発を続けているうちに、季節で、商品を入れ替えても棚が足りない程になった。
他にはない商品を心がけているうちに、自宅使いから、パン屋にはめずらしく、箱に入れて親しい人に藤沢の名物を持って行きたいというのが日常となった。
このギフト扱いが、遠方へと広がり、どなたにも店頭と同じ味を簡単に召し上がれるようにと、フライ後冷凍したものをクール宅急便で地方発送している。
クリームパンやあんパンは、どこにでもあるような商品だが、当店では、ひと手間かけて、ご注文頂いた後特製のクリームをその場で詰めて2色の味のハーモニーを味わってもらっている。
他にも、節句や行事にちなんだ商品、冷たく冷やしておいしい商品やレンジで加熱するとさらに美味しくなるおやきぱんなど、常識にとらわれないものを開発しつづけている。

シモンズストーリー2

2008.09.15号 辻堂新町商店街
愛妻と二人きりの仕事はとても楽しい。ずっと一緒にいられることへの幸せと、20才は若く聞こえる妻の「いらっしゃいませ!』の声が心地よく、仕事への意欲が増していった。充実した日々に喜びを感じ、お客様との会話もついつい弾んでしまう。お馴染みさんから「孫の誕生日に、孫の好きな恐竜を作って欲しい」。就職活動中の男性から「元気が出るカレーパンを作って欲しい」などのご要望が、次から次へと新商品を開発するエネルギーとなる。火を吹く恐竜パンや巨大ツリーのピザパン、にんにく入りカレーパンや、ごろっと豚角煮が入った豚角煮カレーパンなど、たくさんの商品を創作してきた。方々のデパートであわただしく実演販売をしていたころと比べると、自分の店を持つことでずいぶんと落ち着いて創作が出来るようになったと感じる。人生の後半に来て、やっと見つけた伴侶とわずか7坪の土俵に立った。

2009.01.15号 お客さんの一言に耳を傾けると・・・
「車でお店に買いに行きたいけど、駐車しにくいわね」といったお客さんの困っている声を聞いた。「そうか…。駐車場か…」と考えていると、店の前には100円パーキングが!!これも何かの縁と思い、【パーキング料金100円キャッシュバック】企画を取り入れた。すると、駐車しにくいと言っていたお客さんが、気軽に車で来てくださるようになった。やはり販売は対面販売が基本。お客さんとの会話の中から、お客さんが求めているもを教えていただける対面販売にしてよかった。

2009.02.15号 大切な人材と・・・
地元で獲れたシラスで作ったしらすカレーパンシモンズ。「えっしらす?」と言う声にもめげず、うちのこれが逸品だと、頑固に守り続けているうちに、藤沢市の観光名産品に認定されたり、優良店舗藤沢市長賞の表彰を受けたり、ホームページからのお取り寄せや、商工会議所、藤沢市のフィルムコミッションなどから仕事が入るようになった。それまでは夫婦二人三脚だったが、この頃から俺達以上に熱く燃えるアルバイトさんやパートさんがお店に入り、雰囲気をぐっと明るく賑やかにしてくれた。「明るく燃える仲間」「いつでも5分で揚げたてをコロッケのように出せる」シモンズの最大の強みを生かし、どんな場所でも運んで販売を行った。いつしかイベントには、「しらすカレーパン シモンズ」は付き物となっていった。とりわけ、藤沢駅コンコースでの販売は固定化され、お休みすると問い合わせの電話が掛かってくるほどにもなった。だんだん店以外に販売の場が広がっていき、数多くのメディアに取り上げられるようになった。しかし、一般庶民の夫婦にとって、テレビも雑誌も夢のような存在。嬉しさのあまり、取材に来た女性記者とカメラマンに、あれもこれも食べてと困らせたこともあった。また、朝の生放送に間に合うようにと、徹夜で準備をしてテレビ局までお届けしたこともある。そんな時は、歩く広告塔になるとペアルックのシモンズTシャツを着て出かけた。放送現場には入れてもらえずがっかりしながらも、テレビ局のグッズを買って帰るのが楽しみとなった。そして、私の後ろにはいつもニコニコしながら着いてくる妻がいた。(下写真はそのニコニコ顔の写真)

2009.03.15号 知識と技術の伝承
私の作った生地とシステムは、揚げて良し焼いて良し。少ない人手で突然のオーダーにも答えられる優れものと自負している。また、設備的にも一般のパン屋と比べると、店の立ち上げに資金が掛からない。人生の第4コーナーで店を出したが、夫婦で十分できる事が分かった。貸店舗でなければ十分にやって行けるだろう。私は最近、年のせいか、今日まで身につけてきたこの「知識と技術」を伝える責任が、自分にもあると思うようになってきた。どこかにこの期待に応えてくれる人がいないだろうか?と真剣に考えている。シモンズファミリーとして迎え入れ、知識と技術を伝承したい。本気で俺にもやらせてくれーと来た人が、地方の人だったら、そのご当地のカレーパンを作って独立させてあげたい。早く一人前となってもらうためなら、私は労力を惜しまないと考えている。大きな企業でもつぶれる時代だからこそ、我々のような小さな企業は、一人ひとりがこれまでの人生経験を生かしあって頑張れるんじゃないかと思う。

2009.07.15 最後に
いつも元気いっぱいの妻には別の一面がある。自分のわがままのせいで家庭を壊したこと。子供をつれて社会に出たはずが、自覚と責任のない、たこの糸が切れたように羽目を外してしまったこと。子供たちに寂しさと絶望を浴びせかけた悔やんでも悔やみきれない過去に今も苦しんでいる。何年たっても子供たちが残していったものを大事に離そうとしない。妻の頑張りは、会えない子供たちに届けとばかりに異常なほどだ。俺に甲斐性がないせいでゆっくり子供たちのことを考えさせてやっていないが、この先いつか、愛妻が子供たちに囲まれれて、心の底からはしゃげるように、体が続く限り頑張ってやろう。とりあえず、俺のシモンズストーリーはこれでひとまず終わり。この後、うちの奥さんが別の角度でシモンズを紹介するそうだ。湘南カレーパンをネットで注文してもらう為にホームページがあるのだが、是非ともシモンズ(われわれ二人)を知っていただいて、この店のカレーパンが食べたいと思ったらご注文ください。お読みいただき感謝いたします。

シモンズストーリー3

第1回 2009.08.15号
これからシモンズストーリー3を、毎月15日に書いていきますので、宜しくお願い致します。ここでは、私達夫婦が、さまざまな人から、そして、見えない不思議な力に助けられてきたことを、感謝を込めてご紹介していこうと思います。ご紹介する内容は、かかわりの深さ、年数などは考えず思いついたまま書いていきます。そのため、わかりづらいところもあると思いますが、感謝の気持ちは、時間が経ったことも最近のことも、私達には同じように感じられていると思ってください。
さて、第一回目は、一番最近の出会いに焦点を当ててご紹介いたします。この夏、長いお付き合いのお客さんから、ボランティアでお祭りを手伝うので、カレーパンを仕入れさせてもらえないかと相談を受けた。どんな祭りかとお聞きすると、自立援助ホームのボランティアだと言う。どんなことか良く聞かなかったが、このご夫婦が、里親制度の支援もされていらしゃるのを実際に見ているので、喜んでお受けした。祭り当日は、初めての販売でありながら、若い子達が、大きな声を上げて売りさばいたと言う。その後、このとき販売していた子達が、親元にいられない事情のある子達だと知った。祭りの後すぐに、この子達を親代わりでお世話をされている自立援助ホームの若いご夫婦が、わざわざご挨拶に来られ、そこで初めて祭りの趣旨と自立援助ホームの存在を確認できた。その後、私たちに何かできることはないかと相談して真っ先に思いついたのが、ホームページの存在。調査によると、湘南カレーパンのホームページは訪問者が多いホームページだと言う。ならば、一人でも多くの人に紹介しようと決めて、お話を伺いに行ってみた。その時の様子を取材スタイルでまとめてみました。慣れないスタイルですので、読みづらいところ等あると思いますが、ご容赦ください。

「自立援助ホーム 湘南つばさの家」に行ってきました

【はじめに】
自立援助ホームとは、「なんらかの理由で家庭にいられなくなり、働かざるを得なくなった原則として15歳から20歳までの青少年達に暮らしの場を与える施設です。「働かざるを得なくなった」という意味は、本人に十分な意欲と能力が備わっているか否かにかかわらず、家族も含め他の援助を受けることができない状況で「自立」を強いられた状況を指します。しかしほとんどの場合、15歳の義務教育終了時点で施設や家庭から出て働かなければならない児童は、意欲や能力の面で十分一人で生活できる状況にあるとは言いがたいのが現状です。それにもかかわらず、「自立」させられた場合、職場や生活場面でも困難をかかえ、社会適応ができません。そのような児童に対し、社会的援助が必要だと感じた関係者のボランティア活動によって創設されたのが、現在の「自立援助ホーム」の始まりです。」(全国自立援助ホーム連絡協議会HPより引用)

【自立援助ホーム つばさの家】
2009年8月、茅ヶ崎市松浪にある「自立援助ホーム つばさの家」に行ってきました。そこは閑静な住宅地に普通に立っている一軒屋で、表札をじっくり見なければ、わからないくらい、地域に溶け込んでいるようでした。チャイムを押すと、笑顔の男性が迎えてくださいました。「お待ちしておりました!」と言ってくださったさわやかなこの方が、お話をお聞きしました代表の前川礼彦さんです。

【自立援助ホームとは】
こちらの「自立援助ホームとは?」の問いかけに対して、前川さんはわかりやすくお話してくださいました。その内容は、例えば何らかの理由で家にいられなくなった子供達は、児童養護施設に入る事になる。この施設は基本的には、高校進学をしない場合、中学卒業の15歳で出なければならない。そうすると彼等は自分でアパートを借りる事になる。でも実際の生活は15歳では経済的にも精神的にも厳しい事が多い。そうすると悪い道へ行ってしまったりすることがあるという。こういった子供たちを救済するためにアパートを借りるまでの間(大体20歳)、食住(しょくじゅう)を共にして、その準備を援助する活動がスタートした。その歴史は意外と古く50年前だという。この活動はクチコミで全国に広がり、児童福祉法で認知されている施設で全国で55ヶ所、神奈川県で3ヶ所ある。対象になる子供達が全国で4万人いると言われている。この数字は何らかの調査によって勘定できる数字であると言うから、本来はこの倍以上はいるのではないかと、前川さんは言う。

【実際に子供達と会った】
前川さんのお誘いで夕食を子供達といただくことになった。子供達にはどういった接し方が良いのだろうと悩んでいたが、実際に子供達と会うとそんな不安は吹き飛んでいった。
「こんばんは!」と元気で少し大きめの声で言ってみた。「・・・こんばんは。」という暗い挨拶かなと思っていたが、そんな事はない。しっかりとした声で「こんばんは!!!」と挨拶してくれた。前川さんが言っていた事を思い出した。「背負っているものはつらく悲しい事ですが、子供達はそれを吹き飛ばす気持ちで一杯なのですよ。」
その日会った子供は18歳と15歳の男の子二人で、服装も髪型もいたって普通の子達だ。趣味はアニメだという。それならば、「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」で応戦してみるが、さすがに現役世代には太刀打ちできない。色々とはじめて聞く武器の名前や登場人物をおかずに(?)食事をおいしくいただいた。新鮮で楽しいアニメ話(?)にはじまり、彼等の仕事や生活の話を聞きいているうちにこんな事をふっと思った。
「どこにでもいるような子供・・・というより、そこらあたりの同じ年頃の子供よりずっとしっかりしている。受け答えもはっきりしているし、何より積極的に話してくれる。」
楽しい夕食も終わり、時間も22時を過ぎていたので、そろそろという事となり挨拶をして車に乗り込んだ。話していた内容を思い出しながら運転していたら、ふっと思ったことがある。
彼等は自分に話を合わしてくれていたのではないか?彼等は大人の顔色ばかりを伺って生きてきたという話を聞いていた。大人の空気を読むのが秀でていると。「彼ら、そうだったのかも・・・」。と思った。ちょっと疲れさせたかなとも思うが、また会ってもらえたら嬉しい。

代表者前川さんは36歳。神奈川県鎌倉市七里ガ浜の出身。東京の大型自立援助ホームに11年勤続後、つばさの家を平成18年12月にスタート。まだ、知り合ったばかりでボランティアの意味さえわからない私たちは、運営面のことは全くわかりません。ご関心をもたれましたら、下記「つばさの家」のホームページをご自身の目でご覧ください。
http://www.shonan-tsubasa.com/

以 上

私にも子供がいます。波乱万丈の私に振り回された娘と息子は、翼の育っていない状態で、私の止めるのも聞かず、社会に飛び立って行きました。親が最低でも与えなければならない、心の安定と安心を授けてやれなかったために、その後の二人の人生は、困難を極めています。やっと目の覚めた私は、人間じゃないと言われるほど無理をして働けば、子供たちから許してもらえると長い間思ってきました。しかし、子供たちが望んでいることは、「親が改心していることなんかじゃない。どう向き合えばよいのか。どうしたら心を救ってやれるのか。」 つばさの家の子供たちも悩んでいるでしょうが、子供にそんな思いをさせた親も四六時中苦しんでいます。この出会いは、私にとって必要な出会いだったのでしょう。

第2回 2009.09.15号
主人と平澤さんとの出会いは、主人と私が知り合うよりずっと前になります。主人と私が出会って、シモンズを起業するまでに、主人は、原材料メーカーでも働いていました。
今日の「感謝」は、この時知り合った平澤製餡さんです。
もとは、企業の一員として、お知り合いになった関係でしたが、その会社を辞めて、シモンズ立ち上げ中の収入のない時、平澤さんは、主人が取引に力を注いだ分野については、取引高に応じて歩合として、それが、たとえ1000円、2000円という額であっても、きちんきちんと口座に振り込んで下さいました。失業の経験のない人には理解しにくいことかもしれませんが、出ていくばかりの口座に、入ってくるお金があることは、口では言い表せないほどうれしいものでした。そして、この振り込みは、私たちが、シモンズを起業して数年たっても続きました。夫婦で始めたものの、返済に支払いにと、出ていくばかりの口座から、平澤製餡さんからの振り込みを目で追うこともありました。シモンズで使用するあんこは、どんなに少ない注文でも、毎週車で直々に運んで下さり、新商品のヒントになればと、いろいろな餡を持ってきてくださいました。そうこうしている間に、私たちが、シモンズの逸品として作り上げた、しらすカレーパンシモンズが、ふじさわ観光名産品に認定され、マスメディアにも次々と紹介され、辻堂の湘南カレーパン、シモンズのしらすカレーパンと知名度がどんどん上がってきました。これまでも何度かもう大丈夫ですからと申し上げたこともありましたが、ようやく安心してくださったのかこのころ振り込みが終わりました。先の期待が持てない相手に対して、変わらぬ態度を長い年月黙って取ってくださった平澤さんの善意は、シモンズのスウィーツ部門ナンバー1を、不動のものにしている、あんことホイップの入った鎌倉庵、あんことカスタードの入った衣笠庵、そして、しらすカレーパンシモンズに続き、ふじさわ観光名産品に認定された、辻堂アンパンの餡の味を味わっていただければよく解ります。会社の誠実な態度が商品にしっかり表れるということを、平澤製餡さんは身をもって教えて下さったのでした。感謝。

第3回 2009.11.15号
感謝する。それは、忘れている当たり前になったことを思い返すことかもしれません。
湘南カレーパンシモンズが、今日のようにマスメディアに紹介されるまでになったのは、辻堂新町商店街に店を構えて間もないころ、藤沢の名産としてふさわしい商品の認定をしようという動きがあると教えてくださった店主がいました。その方こそが、私達の原点を支えるきっかけを下さった和菓子屋三吉野さんの若旦那さんです。この話が持ち上がっていたころは、個人経営の私たちのような店が認定をされるとは思っていませんでしたから、私達には知る由もありませんでした。ところが、若旦那さんは、お宅のような店こそが選ばれるべきですよっと教えてくださり、選考に至るまでの道を開いてくださったのです。おかげさまで、藤沢のしらすを用いて作ったもちもち生地のしらすカレーパンは、パンとして唯一認定されました。ふじさわ観光名産品に認定されたしらすカレーパンシモンズは、ヤフーやグーグルで一番に顔を出せるまでになり、テレビやラジオ、雑誌などで何度も紹介されるようになりました。今では、菓子パンの辻堂アンパンまでもが認定され、湘南カレーパンシモンズが、カレーパンだけでなくいろいろなジャンルのパンで注目されるようになりました。
辻堂新町商店街は、JR辻堂駅をはさんで北側に位置し、これから開発されるC-Xの脇になります。ご他聞にもれず、商店街と言っても、シャッターが閉まっていたり、住宅に変わっているところが多くなってきています。そんな中で、和菓子処の三吉野さんは、巻き寿司もやっていて、注文で作ってくださるお赤飯も重宝され、お年寄りが多くなってより繁盛されている様子。お向え通し励みになります。これこそが商店街の横のつながり。ついつい忘れてしまいそうな営みですが、原点を感謝し、私達も若旦那さんのように、いいことを惜しげなく人に教えられる懐の深い人間になりたいと思います。

4回 2009.12.15号
2009年も残りわずかとなりました。シモンズストーリーの感謝のページは、まだまだ終わりが見えてきません。こうして感謝の気持ちを書いていると不思議なことに、こんな私が清められていくようなすがすがしいいい気持ちになります。別に私は宗教に染まっているわけでもありませんが、感謝とは、物を買う度にお金を払うのと同じように、出会う人ごとだったり、出合わせた事々だったり、その度ごとに感謝の気持ちは生まれてくるのだと最近気づかされました。要は、心の問題です。みんな等しく心を持って生まれてきます。しかし、心の所在地はわかりません。学術的には脳みその中なのでしょうが、普通は胸に手を当てたくなります。場所も招待もわかりませんが存在します。私には途轍もなく大きな後悔の念があり、心の病に陥った経験があります。その時は、箸で食べ物が口に運べなくなるなど症状が出ましたから、自分で病気だと気づきましたが、頑張り屋で完璧性の性格では病気になっていることも判らなければ、もう普通であっても、人の目にはどう映っているのか気になって、もう一度一人でやっていけるようになれない人もいます。私自身もこうして体を張って仕事をしていますがおかしいのかもしれません。でも、私は、人の体の中の正体不明の心は、おおむね、思い方を変えればOKなんだと信じています。おかしいとおもえばおかしいし、不安と思えば不安だし、不幸と思えば不幸です。でも、心の持ち方をガラッと変えて、私はおかしい人のことがわかるのだからおかしくない。私のことを支えてくれる人がいるから安心だし、私は昨日の経験で今日を生きているから経験値が上がった分だけ安心だし、戦争もない日本に生まれて幸せだし、綺麗なお花を見ることが出来て幸せだし、上げたら限がないほど幸せいっぱいで幸福なんだと思い方を変えると心は上向きます。心が上向いたらその事に感謝したくなりますし、出会う人にも感謝したくなります。出会う事々にも感謝したくなります。まさしく、私がポトピと出会ったのも矢野所長さんとお知り合いになれたことも感謝です。そこで、今年を締めくくるにはこの活動しかないと思い紹介させて頂きます。

「NPO法人 ポトピの会」に行って来ました。

【ポトピの会って?】
「心の病を持つ人の社会参加をみんなで応援するNPO法人です。当事者、家族、職員、会員地域の方々、関連機関などとの連携を密にして、「地域で共に生きる」ことを大切にして活動しています。」〜冊子「ポトピの会の案内」より〜

【矢野所長にお会いしました】
2009年12月、早速、ポトピ第2作業所に行ってきました。そこは藤沢の大鋸の静かな住宅街の一軒家です。本当、よく見なければわからないほど地域に溶け込んでいます。木製の看板に「ポトピ第二作業所」と書かれています。呼び鈴を鳴らすと、男性が笑顔で出迎えてくださいました。「お待ちしておりました。矢野です。」その方が本日お話をお伺いするポトピ第二作業所の矢野所長でした。

【ポトピの名の由来は?】
矢野さんは20歳まで山北町に住んでいらっしゃいました。山北は名前の通り山が多く、とても静かな場所で、深夜起きていると遠くで雫が落ちる音が聞こえてくるような感覚になったそうです。矢野さんがポトピを立ち上げる前に趣味で通っていた俳句教室の先生に誉められた句があり、そこからポトピと命名したそうです。
水音のポトピポトピの夜長かな
「ポトピ」という響きは、波紋や雨垂れを連想させます。みんなが元気になる活動を波紋のように広げてゆきたいといった願いと、雨垂れも年月をかけると大きな石(病気)に対しても穴を開ける(治す)ことが出来るという思いや、清らかというイメージも込められていると矢野さん。
なるほど、ポトピという響きから、何ともいえない「癒し感」を感じました。

【ポトピを立ち上げた】
将来自分が何をやりたいのか悩んでいた大学生の頃の矢野さん。自分自身、気持ちに波があることに気付いていた事もあり、とても心理学に興味が沸いていったそうです。ある日、精神病院に教育実習にいった時、高校生位の子供が独房のような部屋に入れられているのを見て、とてもショックを受けたといいます。と同時に「このままではいけない」と思ったそうです。当時の日本の精神医療は単科の大きな精神病院に入院するしかない時代で、薬物療法を取り入れ入院させずに生活支援に力を入れた欧米に比べるととても遅れていると感じていたそうです。入院が長期化しいつ退院できるか分からないシステム。また入退院を繰返すシステム。卒業後はボランテイアをしながら、「何とかできないものか」と模索していた時代が8年間続いたとか。1988年頃、矢野所長にとって一筋の光が差し込んできました。県や市などの自治体の補助を受けて「作業所」と呼ばれる施設が全国各地に広がったのです。その数その後6,000件以上に増加。それだけ必要に迫られていたんですね。そんな中、矢野さんは横須賀の作業所に勤め、その後藤沢市の「ひまわり作業所」に。その後、周囲の人に支えられながら「ポトピ」を立ち上げた。

【ポトピ第2作業所ではどんな活動を?】
「メンバーとスタッフが一緒に協力し合って、みんなが元気になる活動をしています。そんなポトピは、憩いの場であり、文化活動や仕事の場なんです。そして、一番大切な仲間作りの場なんです。」と矢野さんは説明してくださいました。ご自身も茶道の先生として、メンバー達と堅苦しくない(?)茶道をやっている。「地域も含めたみんなが元気になってくれるような活動ならどんどんやっていきたい。」そんな気持ちで「遊行福祉まつり」の事務局を自らかって出たのが92年。以来、年1回の一大イベントを仕切っている。
「最近は大きくなりすぎちゃって、大変なんだよ。でも、それだけみんなが元気になってくれているんだよね。」

【夢は?】
「現代人はみんな精神病予備軍だと思います。作業所が起爆剤になりみんなが元気になり街が元気になりますように。」

矢野所長、貴重なお時間をありがとうございました。心より応援させていただきます。

以上

おやきぱん 誕生秘話

湘南おやきぱん誕生秘話
物事が始まる時には、きっかけとか動機とかが不可欠です。これまで、カレーパンに特化してきたシモンズでしたが、お客さんに毎日足を運んでもらうには、カレーパンだけでは厳しいのが現実でした。そこでこれまでも、どこにもない菓子パンや食パンを焼いては来たものの大きな広がりは見られませんでした。しかし、昨年のお盆に、それは、神様のお告げのように現れました。主人は、前々から小麦粉の生地におかずを包んで食べるおやきに興味を持っていて、いつかやってみたいと言っていました。私達がおやきといえば信州長野を思い浮かべますが、うちには、長野に嫁いだ娘がいて、2009年のお盆に初めて長野に行きました。行くと決めたときから、ここ藤沢は、長野県松本市と姉妹都市でもあるから、うちがおやきを作るとしたら、姉妹都市の関係に見合うようなちゃんとしたコンセプトをもって開発しようと硬く誓いました。



信州の郷土食おやきの伝統を傷つけることなく、湘南カレーパンシモンズが作るおやきはどうあるべきか、立つ位置を明確にしようと言うことになりました。信州おやきの作り方には、焼き、焼き蒸かし、蒸かし、揚げ蒸かし、揚げ焼き蒸かしなどさまざま。では、パン屋のうちが作るおやきはどのように作るか。湘南カレーパンシモンズの最大の特徴であるもちもち感を出し、買って直ぐ食べられるカレーパンと一緒に買ってもお客さんが直ぐ口に入れられること。野沢菜や、きのこやナスなど伝統的な具材であっても、おやきになじみのない自分達が食べやすい味付けにしたい。と定め、その名も、「湘南おやきぱん」と名付け旗揚げしました。

私達の住まう湘南も海からの綺麗な空気が味わえますが、長野に着くとすがすがしいと言う言葉がぴったりの澄んだ空気に包まれました。長野産の野菜が美味しいのは納得できました。本場長野では、おやきと言ってもいろんな作り方があって、これが王道だと言うのではなく、各家庭各店でうちだけの隠し技を誇っているのがすばらしい。長野から帰ると主人の引き出しが次々と開かれ早速試作が始まりました。

ピロシキ 誕生

実際に行ったロシアで、ピロシキに出会った。


「俺は、カレーパン屋だ。湘南らしさを注入したしらすカレーパンの生みの親だ。でも・・・。」

シモンは、55になっていた。人の心に支えられて、シラスと出会いシラスカレーパンシモンズの名を高めてきた。しかし、シモンの心には、いや、シモンの舌先には忘れられない異国の味が、いつまでも忘れられずに残っていた。


思い出にとどまらなかったピロシキ

遠いロシアで出合ったお袋の味ともいえるピロシキ。それはそれは温かい味は、思い出となっていたはずだった。しかし、2008年8月、気がついたら出入りの肉屋に、肉を何通りも挽かせていた。妻にも説明できないあのころのあの味。頭の中に有る味を求めて、いつの間にかこだわりのもちもち生地に包んで揚げていた。


ピロシキ誕生!俺んちの次男だ!

『うーん、近い。でも、まだ違う。どこか違う』俺の記憶の中で、日本のお袋の味に置き換わっていたロシアの味。何度やっても深みがない。何故だ。何故だ。夢中になっている俺の横から、妻が料理の先生のように春雨の扱い方をやってみせた。するとどうだろう。こんなことで深みとコクがぐんと増した。長年痞えていたものが取れたような気持ち良さ。カレーパン屋ののぼりの下で生まれた異国のピロシキよ。


あげピロシキ

揚げピロシキはコチラ

湘南しらすの魅力

湘南の海の幸の代表はやっぱり湘南シラス。
ほんのりした甘さが口に広がります。
潮風を感じ、獲れたてを味わって下さい!



分類:いわし科かたくちいわしの稚魚

栄養素:骨を作るカルシュウム、頭の良くなるDHA、血液をさらさらにするEPAが多い。
湘南 藤沢のしらす

店舗のこだわり

■湘南カレーパン シモンズの店舗へのこだわり

店の写真です

緑のテントのかわいい小さなお店・・・

1個からでも入りやすい1年中解放された入口・・・

花壇ですテーブルとイスです

大好きな花を咲かせています。

ゆっくりしていって下さい。

湘南カレーパンの麦茶サービス紅茶

夏は冷たい麦茶、冬は温かい紅茶をお召し上がりになって揚げたてをお待ちください。

シモンズの夢

■湘南カレーパン シモンズの夢の話

シモンズの夢 シモン私達の夢は、全国に「湘南カレーパン シモンズ」のパンを広めていきたいことです。

このホームページを立ち上げているのもその一環です。慣れない手つきで日々更新に勤めています。でも、売るためだけでやっている訳ではないんです。

シモンズの夢 パン職人を目指して・・・私達は本当にパン作りが好きな人を育て、その人に独立してもらいたいんです。この辻堂でしっかり修行して、頑張ってと送り出したいんです。

店頭に「2号店を目指し、スタッフ募集」という求人案内を出しているのも、この夢のためなんです。

現在、一人の若者がその夢の第一号として、お店に来てくれています。彼は「パン職人になりたい」といった夢を捨てきれずに、シモンズにやってきました。私達の夢と彼の夢・・・。

いまはその夢に向かって少しずつですが、歩み始めています。

全国にこの”辻堂発湘南の味「シモンズのパン」”が広がって、そして人も育っていく・・・。

シモンの技パン職人を夢見て・・・シモンの手先

低トランス酸の油を使用

先駆けて、導入!!

シモンズで使用している油は、「低トランス酸」の油を使用しています。なぜなら、大事なお客様の健康を考えているからです。「揚げたカレーパンはおいしい!」だけの時代は終わりです。業界に先駆け、率先して行っているシモンズの健康の取り組みをご説明します。

トランス酸とは・・・

トランス型になった脂肪酸のことをいいます。
油脂を構成する不飽和脂肪酸は2種類に分類されます。天然の不飽和脂肪酸(二重結合を持つもの) をシス型といい、油脂の加工工程(水素添加)によって変化したものをトランス型といいます。また、天然でも牛などの反芻胃を持つ動物は、その中の微生物により、油脂の脂肪酸がトランス型になるものも存在し、乳製品の脂肪酸組成中には5%前後のトランス型脂肪酸が含まれています。

トランス酸の作用

悪玉コレステロールを増加させ、善玉コレステロールを減少させる働きがあるといわれています。また、大量に摂取することで、動脈硬化などによる心臓疾患のリスクを高めるとの報告もあります。
しかしその作用については、トランス酸の摂取量が摂取した総エネルギーに占める割合(「エネルギー比」といいます。単位は%)でみて2%以下であればほとんど影響しないこと、同時に摂取するリノール酸量が多いとその影響の低減が明らかにされています。そしてWHO(国連世界保健機関) / FAO(国連食料農業機関)合同専門家協議会の報告書では、トランス酸の摂取はエネルギー比で1%未満とすることを提唱しています。

日本マーガリン工業会のHPより

日本人のトランス酸摂取量は総エネルギー摂取量の1%未満となりました。但し、個人のばらつきや偏った食生活により平均値を大きく上回る可能性はありますが、現時点ではその程度を予断できません。

だからシモンズは低トランス酸油に切り替えた

従来品 : 5.3%
使用品 : 0.9%

油購入代金は上がりましたが、単価はそのままで商品をご提供したい。
厳しいところではありますが、全ては買い上げいただいたお客様のため。シモンズはこれからもお客様の健康に留意して取り組んでいきたいと考えています。

文章内資料提供 日清オイリオグループ株式会社

シモンズが辻堂にお店を出したわけ

その昔、お店がなかったころ、格安で、辻堂に店舗を貸してくださるという方に出会いました。まだ、デパートで催事販売をしていた頃でしたので、一にも二にも店の場所を宣伝しなければと、どこの催事に出店しても、辻堂にお店ができますと連呼していました。ところが、その物件が、賃貸契約が結べない物件とわかり店が出せなくなりました。そこで、大急ぎで辻堂の最初の物件から近いところという条件で案内されたのがここでした。来てみると商店街というアーチがあり、商店街なら大丈夫。リサーチなど全くせず、多くの人を裏切ってはいけないという思いだけで決めたのでした。

主人の作った対面販売のショウケース

木製のショウケース越しにお客様は、何かをしゃべらないと商品が手に入らない対面販売。時々、どうやって買うのですかと尋ねられるほど。最近では、商品ではなくて、表に張り出してあるポップを見ながら注文するお客さんにもびっくりしなくなりました。それどころか、そんな注文の仕方になれたお客様に合わせたメニューを作ったり、ボードを作ることにしました。主人のこだわったショウケースには、一つ一つビニール袋に入った商品が数個並んでいます。後は、ストックケースに入れられ、クリーム入れたてなどその場での仕上げに備えています。では、何故、袋に入れているのでしょうか。それは、パンが、乾燥にとても弱いと言うことです。最初のころ、売れないから袋に入れているのではないかといわれないかと心配したこともありましたが、荒熱が取れたら袋に入れろという主人の言う通りにしてきました。お客様からの反応も上々で本当にやわらかです。